堺屋太一 『大変な時代』

この著書を読んで、やはり堺屋太一氏は、稀有な著作家であるなと確信した次第です。
堺屋太一
物事の内容を詳しく分析し、しかもわかりやすく説明することで未来が明るくなるのです。
物事は不変ではないですし、その変化が起き、同時に問題点が発生したら、それを良き方向へ持っていくことが科学の役目であり、その際に必要なのが明晰な分析に他ならないからです。
それをどの著書でも終始一貫しているから、いつ読んでも集中してしまい、いつしか時間のたつのも忘れてしまうのです。
こういう著者の存在にはいつも感謝しています。
91年から始まった日本の不況において、やはりその打開策は必要になってきている世風の中でこの本は書かれていて、当時の日本及び世界の社会構造がどのようになっていて、また日本の驚異的な経済的な成長が可能だったのかを分析し、その内容を踏まえたうえで、打開策を提示しているのです。
その明晰な分析内容には瞠目せざるを得なかったのですね。
今はもう色あせたというか、どれほどの企業が踏襲しているのかわかりませんが、企業の労使慣行(終身雇用、年功序列賃金、企業内組合)、政府や企業の先行投資型体質、集団的意思決定が、日本の奇跡的な経済成長を可能にしました。
しかし、これからはこれらが起因して、危機に瀕するというのです。
それは世相の変化や発展途上国の経済的な追い上げが原因ですね。
第二次世界大戦直後に生まれたいわゆる団塊の世代といわれる人たちは、その経済的な恩恵を受けてきました。
私の父もその世代に属しますが、その当時の恩恵は凄いものがありました。
その会社は外資系の会社でしたが、その会社は秋の運動会の季節になると、運動会を開き、その際に遊園地を全部借り切ってやってました。
その際には、食事、飲み物、イベント参加のチケットがいずれもタダでくれました。
また、違う年には芋ほり大会がタダで参加できました。
そして私の家族は社宅で暮らしていま下したが、そこは部屋が居間含めて4部屋ありましたが月に4万円弱で借りれました。
こんなことができる会社は今はもうないのではないでしょうか?
その会社もやはり90年代半ばの不況のあおりを受けて、徐々に撤退勧告を社宅に住む家族にするようになり、最終的には全家族が撤退を余儀なくされました。
このようなことが何故当時の日本で可能だったのか?
日本人が概して勤勉だったから…それももちろんあるでしょう(笑)。
しかしそれだけではないのが、この著書を読んでわかりました。
株の個人への分配を低くして企業の内部留保を大きくしたのですね。
個人の消費は悪であり、企業の公共の投資は善という雰囲気を作ったのですね。
なるほど、当時の日本人はどの家庭も貯蓄に励んでいた雰囲気が往々にしてありましたね。
しかしこんにちでは、そういう雰囲気がかなり希薄で、刹那的にお金をどんどん使ってしまう雰囲気の方が大きい気がしますね。
それはやはり法律による効力が大きかったのがわかりました、この本を読んで。
法人税を高くして、含み益には課税しないという法律的な側面があったのがわかりました。
税金を払うよりも、新たな設備投資をした方がいいという雰囲気になるのは必然です。
企業がそのことに気づいて、やはり社宅を作ったり、会社の別荘を作り、そこを格安で社員は使うことができる、ということになれば、儲けが出ている企業は、どこも作りますね。
それを利用することができた社員は、その会社への忠誠心や帰属意識が強くなるのは必然ですね。
私の父の会社もそのことを敢然とこなしていったのですね。
しかし、欧米での国民性を考慮すると、これが功を奏したのかは疑問がわきます。
欧米では、終わりの時間が来たら、仕事が終わってようがいまいが、すぐに帰り、自分の家庭や友人と団欒を愉しみ、そして趣味の世界の没頭するのだそうです。
企業内の人間が必ずしも気の合った人であることはないですし、そういった人たちと無理やり付き合う必要を感じないですから、社宅や別荘など建てようものなら、それらは自分たちに還元しろと企業は訴えられるとフランス人ジャーナリストが書いた本を思い出します。
やはり国民性の違いがあるのは興味深いですね。
こういった法人税のからくりがあったゆえに、日本では公共事業、設備投資、住宅建設の3つを足すと、GNPの30%余りになるのだそうです。
これは先進国ではまれな事態です。
設備や住宅に投資した人は有利になるのは言うまでもありません。
自治体や企業は、経済規模の拡大によって先行投資をどんどんしていったのですね。
大企業は500余りの子会社や孫会社がありますが、日立製作所などのレベルになると1000もの子会社や孫会社があり、金融と株式の持ち合いをおこない、金融グループにまで成長したのです。
また法人税法以外にも、財政法というのがあって、これは道路や住宅や下水道の投資は建設国債を使い、これは無限に発行できるのに対し、教育や福祉やイベントには赤字国債を使い、これは厳しく抑制されているのです。
ゆえに建設事業に財政が集中してしまうのですね。
ここで思い起されるのが、カレル.ヴァン.ウォルフレン氏の言葉ですね。
「地方には全然人が通らないところに道路や橋を作り、川や海には不必要な護岸が作られたりしている。
そのことで、美しい景観が損なわれている」
ということですね。
それを良しとしないのがウォルフレン氏ですが、ウォルフレン氏に共鳴する人がいるならば、それを改善するための行動をしていかないとだめですね。
カレル.ヴァン.ウォルフレン
それは国民、市民が動かなくとも必然的に変化が起こるのでしょうか。
堺屋太一氏の慧眼なところは、視野が広く、論述をするに際し、その引き出しからいろんな論が即座に出てくることですね。
団塊の世代の子たちは、すでに親が住宅を購入しているがゆえに、住宅購入の切迫感がなく、加えて人口増加が停止し、人口移動の頻繁さが激減しているからこそ、受託建設の戸数は減少していくからと太一氏は書いています。
そこは綿密な分析が必要でしょう。
私の住む東京では、都心部でいろんなマンションがたくさん建てられていて、売りに出すとすぐに「売り切れ」の看板が出てしまいます。
これは私がみただけだけのことで、全体的には減少しているのか、増加しているのかはわかりません。
やはり都心部では建設ラッシュで地方では激減しているのかもしれませんね。
その他、高齢化社会において、高齢者向けの商品の不足を嘆き、官僚主導の<コスト+適正価利潤=価格>という基準で、着陸料が固定で決まってしまっている事の変革を希求していることなど、太一氏の視野の深さに驚かざるを得ないですね。
また歴史にもものすごい慧眼を持っていて、かつてのレーガノミクスの歴史的な教訓を引き合いに出しています。
この政策によって、2000万人の雇用を増やしました。
しかし、年収300万ドル以下の低所得者が急増し、年収1000万ドル以上の人が増えたことを引き合いに出し、このような社会階層の両極分解は、製造業の衰退で起こるとしているのです。
この本が書かれたのは96年ですが、それが今の日本にも当てはまりますね。
額に汗して働く人ではなく、いかに上手くお金を動かす人が得する社会になってしまっているのです。
こういった歴史を透徹したモノの見方や、視野の広いいわば博学さにはノックダウンさせられます。
こういうものを読むとやはり時間を忘れて読むのに没頭し、かつものの考え方においても参考になります。
そしていつまでも氏の本を蔵書にしまっておいて、いつまでも読んでいたい気になってしまうのですね。
そういう読書を愉しみたい方にはうってつけの本ですね。
●この本は以下よりどうぞ!
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