ショウペン.ハウエル 『読書について』

yuka


昭和の20年代か30年代かは忘れましたが、かなりの昔の話ですが、当時の日本の文系大学では、読書必須の著者としてデカルト、カント、ショウペン.ハウエルの3人を総称して「デカンショ」といわれていたようです。

私は、カントだけ読んだことがあるのですが、デカルトショウペン.ハウエルも読まないと、と思ってました。

しかし、デカルトに関しては何回も本などで目にしたことがあるのですが、ショウペン.ハウエルに関しては見る回数が非常に少なかったのは否めなかったです。

天邪鬼な私は、デカルトよりも先にショウペン.ハウエルのほうを先に読もうと思い、今回、その本を買い、そして読んでみました。

この本は実に79版を重ねています。
 
1960年が日本での初版でこれだけもの多く版を重ねて今も入手できるのですから、驚きを隠せません。

人々、しかも多くの人にその良さについて偉大さについて口々に語られ、論じられてきたがゆえに、それも可能なのでしょう。

私も、この本を読んでその素晴らしさについて実感しました。

読書は、自分の考えや思想をはぐくむための手段であり、考えや思想を固められないがゆえに、読書に逃げてはいけない、ということを書いてあります。

これは目の覚める理論ではないでしょうか。

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 ショウペン.ハウエル


自分の考えや思想を固められない人は、多読であることによって、逃避しているということです。

私は大学時代からいろんな本を読みだすようになり、今ではその総計1000冊は越えたでしょうか。

その当初は、わからないことだらけであり、自分の考えや思想を築く前に、まず知らなければならないことが大いにあるから、またそういう作業よりも、知的好奇心が旺盛であったゆえに、多くの本を読みたい、という衝動に駆られて次から次に読んでいったという経緯だったのです。

私の出た高校は、お世辞にも進学校とはいえず、高校時代は遊びに遊んでいたがゆえに、社会のことなどほとんどわからなかったのです。

しかし、そのころからも学問に対する憧れは維持していたので、曲がりなりにも大学進学が叶った後には、とにかく本を買っては読んでいたのです。

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そこで高校生ならだれでも知っている社会主義と資本主義の違いや、日本が経済大国であることも、大学時代に読んだ本で知ったのです(笑)

そういう次第ですので、私が自分の考えや思想を築くことから逃げる、ということではなしに、それらが知識不足ゆえに出来ないということで読書に逃げていたということです。

しかし、それが全部ではなくして、築くのから逃げるためという部分も少なからずあったことは認めないといけませんね。

自分の考えとは、知識を重ねることで可能となりますし、その考えたこともきちんとノートなどに書き留めていないと、忘れてしまいますから、そういう読みっぱなしは戒めないとだめですね。

自分の思想を築くことができない人は、多読であることで、それから逃避しているということで、思い起されるのは私が敬愛する佐伯啓思氏の言葉ですね。

ミネルヴァ書房の月刊冊子である『究』の2012年の4月号の冒頭で氏のインタビューがありますが、そこには、

「時たま、先生はよく本を読んでいるでしょう、と言われたりもするが、実はほとんど読まない。

いや仕事上の必要以外のものは読まない。」

ということですね。

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  佐伯啓思


これまで40冊以上の書下ろし本を出してきて、その内容のいずれも奥深い理論、そして誰も考えつかないような角度でモノを論じる姿勢には私は感服してきましたし、ゆえに感動して集中して数時間を佐伯氏の本を読みながら費やした経験がある私としては、佐伯氏はさぞ読書家なのだろうと思っていたからですね。

しかし氏は違っていて、物事を深く考えるがゆえに多読家ではなかったということですね。

しかし、かといって理論というものは、無から有を生み出すことなど不可能事ですから、ある程度の多読、濫読は必須でしょう。

科学的な著作家が、自分の考えや思想を構築せずに多読であることで満足し、それゆえに、そういった人の書く本等のメディアについては、引用だらけ、あるいは自分の考えや思想など全く書かずに知識だけで文字を埋めている、ということにショウペン.ハウエルは嘆いているのです。

その嘆きには同感しますね私は。

学問は単なる知識の吸収だけはなく、そこに何らかの意味付けを与えなくては意味がないし、そうでなくてはそれを学ぶ時間がもったいないですからね。

日本のように詰め込み教育が盛んなところでは、学問=知識を詰めること、という誤った図式を脳内に形成してしまうことは頻繁にあることでしょう。

しかし、まっとうな本を幾冊も読んで、そういう図式が出来上がってしまっている人は矯正する必要がありますね。

しかし、後世にまで語られるような偉大な本を生み出すことは誰にでもできることではないですから、そこは私自身、肝に銘じていることです。

しかしだからといって、引用ばかりの本や、知識のみ書いて満足している人の著書にはノーを突きつけたいです。

考えは、いろんな本や媒体を通じて形成されるものですから、その経過を通じて、そこに書かれている考えに賛成か反対か、それがどのくらい賛成か反対かは違うのですから、その詳細をつまびらかに論じるべきなのです。

また、そこに書かれていることに全く賛成の場合もなければ、まったく反対の場合もないでしょう。

ゆえに絶対に引用だけいいということにはならないはずです。

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しかし、そういう本を書く著作家や大学教授は少なからずいるものです。

著作だけで生業にしている人の場合、そういう引用ばかりの本を出しては、売れずじまいで、生業として成り立たなくなるのは必至ですが、大学ではそういう教授の方が履修する人が多く、ゆえに多く稼げるのです。

何故なら、そういう教授の書いた本は、最初から最後まで同じようなことしか書いていないですから、年末試験が楽だからです(笑)

またそういう教授の書いた本は履修する人が多いからこそ、その本も売れるのです。

まさに職業天国ですね。

こういう教授の講義など聴いてもちっとも面白くなかったですが、賛成する人の方が多いから淘汰されないのです。

他の本からの引用ばかりで最初から最後まで同じようなことしか書いていない本を出す教授…こういう人は大学に関係のない人でも知っている有名な大学を出ている、というパターンも散見されます。

こういう人の書いた本は読んでも何ら感動を覚えませんから、私は買わないし読みません。

有名大学を出た教授だからといって、素晴らしい知的生産をおこなえる才能があるかといえばそうでないのですね。

やはりこういう弊害は、ショウペン..ハウエルの生きた時代はもちろん今でもあります。

それはやむをえないことですね。

学問が盛んになり、それに従事する人が増えれば必然的に、そういう似非学者、似非教授が多く出てきてしまうのですね。

先にも書いたように、だれもが偉大な足跡を残す学者にはなれませんし、誰もがセンセーションを呼び起こすような凄い本を書けるわけではないのです。

ですから誰にもそういう理想像を掲げるなんて言うことはしないです。

ですが、本を書く以上、きちんと考えや思想を形成する必要はあるのですから、自分なりにできる限りそういう作業はすべきでしょう。

そういうことを一生懸命している人の本は、当然読みたいと思いますし、人にも勧めたくなりますし、当然します。

しかし、考えや思想の形成をすることなく、引用ばかりの本や知識だけの本を書いている人のは今後読まないということに決めています。

しかし、日本のようにアカデミックな社会においては、やはりそういう人の本は頻出してしまうのは必然です。

音楽を作詞作曲する場合、一人で全部こなしてしまうミュージシャンもいますが、それは非常に稀です。

たいていの人は、パートナーと一緒にする場合がほとんどですし、パートナーと一緒にすることだけでいい曲が作れるわけではない場合もほとんどですから、プロデューサーに依頼して一緒に曲を作る場合もあるでしょう。

それによって想像もつかないほど素晴らしい曲が出来たりするパターンは散見されます。

しかし本を書くのは基本1人ですから、こういう事態が発生することはまずありえないのです。

ゆえに、私は引用ばかりとか知識だけしか書いていない著作家の本に関しては、すぐ読むのを辞めます。

そういう本は読んでも意味がないですし、退屈極まりなしですから。

そして、パソコンのKingston Writerを使って、それに「NG著作家」という題名にして、私が今後読まないと決めた人の名を書いてしまい、たとえメディアでよいことが書かれても、その人のは買わないし読まない。

その人のことを忘れたときに、なにやら興味深い本を見つけた。

それで買おうかどうか悩みながら、その「NG著作家」を開いてみて、そこにリストとして入っていたら買わない、ということにしているのです。

そうでないとお金と時間が無駄ですから。

日本のように高学歴社会ゆえの、そして高学歴社会ならではの知的生産術の1つですね。

1つでも多く良書に触れなくてはいけない人にとってはそうするより仕方ないのです。

ショウペン.ハウエルもそうした知的防御法をすればよかっただけと思いますが、彼の場合正義感が強く、そういう作業をしない人の多いジャーナリズムについての批判のみならず、どのような意図でそうした人が、そういった悪書を書き、それがどのような悪弊を生み出すのか等々を、つまびらかに詳述しているのです。

ジャーナリズムに命を懸けていた人の生命の息吹を感じますね。

その姿勢に共鳴する人にとっては、この本をぜひとも読むべきでしょう。

読んだ人が何も学ぶものがないことしか書いていない似非学者、似非教授にならないためにも。

●この本は以下よりどうぞ!
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