クリストファー.ヒル 『レーニンとロシア革命』

1917年ロシア革命は、ほとんど無血で成し遂げた革命として称賛に値する出来事でした。

これはかの有名なレーニンが主導のもとにできたことであるようですね。

そのレーニンは、やはり「資本主義から社会主義への移行には革命が必要」というマルクスの思想からヒントを得た、というか感化されてそれが実現できたということでした。

マルクスは非常にカリスマ的な思想家であり、ここ日本でも大きな影響があったのは否めない事実のようです。

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    マルクス


その思想に感化されて、社会主義国を樹立できた事実を見れば、やはり日本も社会主義国を樹立しよう!」と息巻いていた知識人や評論家が多くでたのも自然な成り行きでしょうし、事実そうでした。

この革命によって、皇帝が国を代表するのではなく、労働者が国を代表し、評議会を地方や農村にも作り、出版と集会の自由を保証したようです。

それほど素晴らしい結果になったのでしたが、すぐにその自由はのちに奪われたのは非常に皮肉ですね。

基幹産業を国有化し、土地を農民にあげたようですね。

皇帝の廃位をしたのは先に見たとおりですが、国教会制度も廃止したようですね。

21年から新経済政策(ネップ)が開始され、24年レーニンが死ぬまでの意義について書かれたものです。

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      レーニン


それまでは、腐敗した官僚制によって庶民は工場、鉱山に投げ込まれて、バラックで低賃銀で生活させられていたようです。

これが革命の下地になったのは明白です。

しかし、その後のスターリンやその他のロシアの主導者の政治によって、また振り出しに戻ってしまったようです。

しかし、この本で当時のロシアの鉱山、発電所、鉄道などは皆外国の所有だったことを知って驚きました。

そのパーセンテージは、この本を読んで頂くことにしましょう。

このロシア革命のおきた当時前後では、列強による戦争の連続でしたが、フランスイギリスなどが、ロシアと手を結ぶとか、援助をするとかいったことのモチベーションにおいては、資本主義か社会主義といった論争を捨てて解釈する事ができないほど、社会主義のイデオロギーの盛り上がりが無視できないほど強力になっていたことがわかり唖然としました。

これまで、資本主義国だった国が、社会主義を採択して国家運営をしていく事になった国の歴史を知る事ができますが、一変的に換える事はできなかったようです。

そうですよね、国に運営をしていくのに、いきなり今日から社会主義にするなどといって変えられわけはないですし、ロシアも例外ではなかったようです。

やはり漸次的に変えていったようです。

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これだけ多くの文盲のいたロシアで、民衆をまとめ上げ、社会主義国を樹立したレーニンは、素晴らしいと思いましたが、現実は逆であったようです。

文盲が多かったゆえに、多くの民衆をまとめ上げて1つの方向へ向かわせるのが可能であった、ということがわかりました。

ロシアは、山が多く、しかも寒冷で科学が発達しにくい土壌であったのは確かです。

その様な風土であったがゆえに、紙も、また本も入りにくかったのは確かです。

紙や本がない、あるいは少なければそこには思想が生まれにくいのです。

2つの考えがあって、その2つのどちらが妥当化かといった論争もまた生まれにくかったのも当然頷けるでしょう。

そういう風土であればこそ、すんなりと1つの方向へ向かわせる事が可能だったのでしょう。

1人のカリスマ的な指導者の元で。

古本屋街にいくと、50年代60年代にでた本がいっぱいあります。

その中に、日本も社会主義にいくべきだ!」といった論調の本を沢山発見することが出来ます。

それくらい、社会主義は多くに人を捉えてきたのがわかります。

しかしその反面で、それに反対する論者も多くいたのも事実です。

また国家の体制の是非を論ずる思想ですから、その是非を割り切るのは大変ですから、どっちつかずの人もいたのも事実です。

そういった論争をしていくうちに、決着がつかず、徐々に社会主義が上手く行かないことが白日の元にさらされ、そしてついに91年ソ連が崩壊したのです。

そういった思想が育成する土壌のあるかないかで社会主義に移行するか否かが決定するのは明白ですね。

かつて、地球上にある国家のうち、半分に迫る数の国家が社会主義国になったのは事実です。

それをみて、日本も社会主義国になるべきだ、と思った論者もいた事は事実でしょう。

しかし、その内実をみると、どれも文盲の多い、教育が発達していない国であったことは事実です。

それゆえに、社会主義を国の指導者が採択し、樹立する事が可能であったのですね。

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だとしても、文盲の多い国であれば、誰でも指導者になり、社会主義に移行が可能であったかと言われればそんなことはなく、やはり指導者としてのカリスマ性を備えていた人でなければ不可能事であったことは確かです。

この本を読むとわかりますがレーニンがカリスマ的な存在であったことは確かです。

その国家運営の中で、23年には、イギリスへの借款を完全に返したようです。

またロシアの機関紙である『イスクラ』も発刊されました。

その市民の教育のために考えたことは、指導者の持っている理論的知識を利用して理論家の学識を身につけた新しい労働者を養成したようです。

その際に言ったのは、我々の知らないこと、工場や労働組合の経験からはどうしてもわからないことを、もっとたくさん言わなくてはならない」ということでした。

これは人民統治をする際に、指導する側の人がどうしても身につけていなければならない思考法ですね。

それがゆえに、レーニンが指導するボリシェビキが多くの党員を獲得できたのでしょう。

暴力的な手段で増やしたわけではないのは、この本を読めば明らかでしょう。

そのスムーズさには驚くばかりです。

この革命が起こる前のツァーリ帝政によって、どれだけの人が処刑されたとか、当時9割の人民が文盲であったとか、人民の摂取カロリーが英国やドイツの何割であったという様な詳細が書かれているので興味が深かったです。

それを良き方向へ向かわせるかを具体的に、政策へ向けていくことを生きがいにしていたレーニンには敬服します。

その後のソヴィエト社会主義共同同盟結成、第一次世界大戦第二次世界大戦を経て、こんにちに至るわけですが、その詳しい経緯についてはこの本を読むといいでしょう。

読みやすい筆致で書かれているので興味深く読むことができるでしょう。

しかし、社会主義を採択したところで、最終的には上手く行かずに、経済的な停滞、そして崩壊に至るのです。

それは、ノルマを達成するだけでいい、という社会主義国の方式では、物が溢れてしまったときに、買うモチベーションを市民に起こらなくなり、物が買われなくなっていき、最終的には崩壊してしまった、という経緯はこれまでの歴史を見ればわかります。

それのみか、国家主導者の利益をえるためだけの政治体制にも問題があったことも明白で、そのせいで反対者、不満分子といった人たちが多く虐殺されたのも、また他の本を読めばわかります。

ロシアのような社会主義国は国家指導者が変わることで、大きく政治が大きく揺れ動いてしまうゆえに、最初は良くても、次の主導者になった途端に悪化というのも明白です。

レーニンは、この本を読めば素晴らしい理念を持った人でしたが、その死後、最高指導者になったスターリンがどれだけ残虐な粛清や虐殺をおこなったかは、他の本で明らかにしました。

レーニンのような素晴らしい人が、その次になっていれば社会主義国は永続していたはずという論理も通用するはずもこんにちではないでしょう。

やはり社会主義国は今はもうないのですから。

しかし、その理念と行動力の素晴らしさには学ぶものがあるはずです。

その内容については、かなり感銘を受けましたし、レーニンのことについて他の本をたくさん読んでいきたいと思っていることも確かです。

社会主義についての本=読む必要がないというふうには捉えずに、虚心坦懐に読めて学ぶところは大いにあるはず、といえる本だと思います。

●この本は以下よりどうぞ!
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