佐伯啓思編著『高校生のための人物に学ぶ日本の思想史』
高校生は大学受験のために勉強するのがほとんどでしょう。
しかし、大学に入学した後は、それに代わる目的がないがために右往左往してしまうのでしょう。
しかし、それから社会で生活していく上で大事な考えを学ぶということであれば、モチベーションが上がるのは必然でしょう。
そもそも大学で学ぶ学問は、そういう性質を持っているわけですし、それを発見したらそれにまさる喜びはないでしょう。
ただし、単なる講義をするのではなく、現代社会を奥深く分析した挙げ句、それをその学問の知識や理論、考えといったものと結びあわせて論じる事によって読者は感銘を受けるのは言うまでもないことです。
そういった一連の作業を一貫して貫いている佐伯啓思氏には、大学在籍時から注目していましたし、卒業後も色々本を集めて読み、新刊がでたら必ず買って読みました。

佐伯啓思
その姿勢が、今回も貫かれているので安堵の気持ちです。
この本で取り上げられているのは夏目漱石、森鷗外、三浦梅園といった人たちですが、こういった昔の人たちを引き合いに出して論じるのは、現代でもそういった人たちから学ぶ箇所があるからにほかなりません。
その意義を見いだせずに、その著書の説明に終始している本はあまり読む意味がありませんね。
この本で佐伯氏は、まず夏目漱石について論じているのですが、漱石は明治時代の人であり、その当時において日本が開国し、国内に西洋の文物が多く入って来ている中で、日本のアイデンティティの危機に注目した小説家ゆえにその意義が高く買われて今でも学校の教科書にも取り上げられているということを知りました。
その他、漱石は、知識人と市井の人との関係にも注目しました。
頭の中が学問的な思考でいっぱいになっていて、その学問的な思考から実生活を見ようとする知識人に対し、特別専門的な知識を持たずに生活している市井の人との対比の構造に注目したのだといいます。
Aという議論とBという議論があり、どちらもあい入れない矛盾する関係であったら、どちらかにハッキリしろという学者、専門家、知識人の構造は当時も今も変わらないと佐伯氏は発見したのです漱石の著作から。

日本のそういった人たちは、アメリカの民主主義を世界中で実現すべし、市場は徹底して自由競争にしろという意見に与したのです。
それが、歴史や文化や風土の違う日本でやっても上手くいかないが、そういったアメリカの意見に与して、日本は改革の大合唱であったのです。
いくら政権選択や構造改革の経済が日本になじまないといったところで、少なからぬ適応が日本では出来てしまうのが日本の強さではあるでしょう。
その強さ故に、明治期の殖産興業もすぐに日本では可能であったことは間違いないでしょうね。
それゆえに、日本は列強の植民地にはならなかった。
文明の利器が日本に取り入れられることで、本当の意味での自由時間も、暇な時間も、物事をゆっくり考える時間がなくなっているのは明白でしょう。
それは、日本が外発的な開発のゆえであると漱石は考えていたのです。
しかし、それをいいことと考えるか、悪しき事と考えるか、あるいは両方の側面があるかは人によって違うでしょう。
しかし、そのままでいい訳はなく、問題点が噴出しているのならば、それを知識人は発見し、それを国民の側に提示し、それを是正するために国民は何をすべきかを考え行動する、という流れが必要でしょう。
そんなことを読み手が行動するきっかけを作ってくれる本を佐伯氏は毎回出してくれているのです。
行動に移らなくても、考えを良い意味で変えてくれる本を出しているのです。
それが本当の知識人の姿勢でしょう。

やはりどんな社会でも漸次的に変化するわけで、いきなり变化するわけではないのです。
そこには合理的な精神が必要でしょう。
このためにはこういう行為が必要だからこういう行動をする、それにそぐわない行為は一切しないというような。
しかし、その改革の大合唱できた日本を俯瞰すると、やはりそれなりに適応しているのがわかります。
その改革に対する反対はあるものの大反対にならないのは、その改革後でもそれなりに人生を送れているからでしょう。
1億総中流社会などと言われたのは20年前で、それ以降持てるものと持たざるものとの差が開いていても、持たざるものもそれなりに生活できているからでしょう。
だから大反対にはならない。
やはり、本を出さない、毎年同じノートをよんでいるだけの大学教授は少なからぬ数いますが、それは研究らしい研究をしなくても、大学に毎年多くの人が入学して、講義に受けに来るからでしょう。
その多くの学生たちの親が払ってくれた学費で食べていけるわけですから。
ゆえに食べるのに困らない。
だから、それまでの姿勢を変えないのですね。
しかし、佐伯氏はそんな教授とは一線を画し、執筆や講演、本の出版を定年退職した後も貫いているから敬服に値するのです。
この本では佐伯氏が西田幾多郎についても執筆している他、3名の執筆者がそれぞれ違う思想家を取り扱って論じています。
それは以下です。
高橋義人→「森鷗外」
田島正樹→「宮沢賢治」「太宰治」
小川晴久→「三浦梅園」
この本は、高校生のために日本の思想家についての講演を元に本にしたようですが、高校生でなくても卒業後の一般人や大学院生にも充分読む価値のある本であると思います。
本題に惑わされずにいろんな人に読んでほしいものです。
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しかし、それから社会で生活していく上で大事な考えを学ぶということであれば、モチベーションが上がるのは必然でしょう。
そもそも大学で学ぶ学問は、そういう性質を持っているわけですし、それを発見したらそれにまさる喜びはないでしょう。
ただし、単なる講義をするのではなく、現代社会を奥深く分析した挙げ句、それをその学問の知識や理論、考えといったものと結びあわせて論じる事によって読者は感銘を受けるのは言うまでもないことです。
そういった一連の作業を一貫して貫いている佐伯啓思氏には、大学在籍時から注目していましたし、卒業後も色々本を集めて読み、新刊がでたら必ず買って読みました。

佐伯啓思
その姿勢が、今回も貫かれているので安堵の気持ちです。
この本で取り上げられているのは夏目漱石、森鷗外、三浦梅園といった人たちですが、こういった昔の人たちを引き合いに出して論じるのは、現代でもそういった人たちから学ぶ箇所があるからにほかなりません。
その意義を見いだせずに、その著書の説明に終始している本はあまり読む意味がありませんね。
この本で佐伯氏は、まず夏目漱石について論じているのですが、漱石は明治時代の人であり、その当時において日本が開国し、国内に西洋の文物が多く入って来ている中で、日本のアイデンティティの危機に注目した小説家ゆえにその意義が高く買われて今でも学校の教科書にも取り上げられているということを知りました。
その他、漱石は、知識人と市井の人との関係にも注目しました。
頭の中が学問的な思考でいっぱいになっていて、その学問的な思考から実生活を見ようとする知識人に対し、特別専門的な知識を持たずに生活している市井の人との対比の構造に注目したのだといいます。
Aという議論とBという議論があり、どちらもあい入れない矛盾する関係であったら、どちらかにハッキリしろという学者、専門家、知識人の構造は当時も今も変わらないと佐伯氏は発見したのです漱石の著作から。

日本のそういった人たちは、アメリカの民主主義を世界中で実現すべし、市場は徹底して自由競争にしろという意見に与したのです。
それが、歴史や文化や風土の違う日本でやっても上手くいかないが、そういったアメリカの意見に与して、日本は改革の大合唱であったのです。
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その強さ故に、明治期の殖産興業もすぐに日本では可能であったことは間違いないでしょうね。
それゆえに、日本は列強の植民地にはならなかった。
文明の利器が日本に取り入れられることで、本当の意味での自由時間も、暇な時間も、物事をゆっくり考える時間がなくなっているのは明白でしょう。
それは、日本が外発的な開発のゆえであると漱石は考えていたのです。
しかし、それをいいことと考えるか、悪しき事と考えるか、あるいは両方の側面があるかは人によって違うでしょう。
しかし、そのままでいい訳はなく、問題点が噴出しているのならば、それを知識人は発見し、それを国民の側に提示し、それを是正するために国民は何をすべきかを考え行動する、という流れが必要でしょう。
そんなことを読み手が行動するきっかけを作ってくれる本を佐伯氏は毎回出してくれているのです。
行動に移らなくても、考えを良い意味で変えてくれる本を出しているのです。
それが本当の知識人の姿勢でしょう。

やはりどんな社会でも漸次的に変化するわけで、いきなり变化するわけではないのです。
そこには合理的な精神が必要でしょう。
このためにはこういう行為が必要だからこういう行動をする、それにそぐわない行為は一切しないというような。
しかし、その改革の大合唱できた日本を俯瞰すると、やはりそれなりに適応しているのがわかります。
その改革に対する反対はあるものの大反対にならないのは、その改革後でもそれなりに人生を送れているからでしょう。
1億総中流社会などと言われたのは20年前で、それ以降持てるものと持たざるものとの差が開いていても、持たざるものもそれなりに生活できているからでしょう。
だから大反対にはならない。
やはり、本を出さない、毎年同じノートをよんでいるだけの大学教授は少なからぬ数いますが、それは研究らしい研究をしなくても、大学に毎年多くの人が入学して、講義に受けに来るからでしょう。
その多くの学生たちの親が払ってくれた学費で食べていけるわけですから。
ゆえに食べるのに困らない。
だから、それまでの姿勢を変えないのですね。
しかし、佐伯氏はそんな教授とは一線を画し、執筆や講演、本の出版を定年退職した後も貫いているから敬服に値するのです。
この本では佐伯氏が西田幾多郎についても執筆している他、3名の執筆者がそれぞれ違う思想家を取り扱って論じています。
それは以下です。
高橋義人→「森鷗外」
田島正樹→「宮沢賢治」「太宰治」
小川晴久→「三浦梅園」
この本は、高校生のために日本の思想家についての講演を元に本にしたようですが、高校生でなくても卒業後の一般人や大学院生にも充分読む価値のある本であると思います。
本題に惑わされずにいろんな人に読んでほしいものです。
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