吉岡昭彦 『インドとイギリス』
この本は、大学の講義である「歴史学」で取り上げられた本で、興味をいだき、買い、そして読んだ本ですが非常に興味深くなってしまった本です。
それを今読み返して、集中して読んでしまったことを思い出しました。
非常にわかりやすい文体で書かれていて、興味深い知識がいくつも書いてあるので、読みすすめてしまったのです。
インドはヒンドゥー教が大手でまかり通っていますし、牛が崇め奉られていますが、それは牛が乳を出してくれて、それを人間が飲み、貴重なタンパク源になるからですし、その糞を燃料とすることで火を炊く事ができる、まさに人間の生活を支えてくれる存在だからということだからですね。

ゆえに神聖視されて、殺すことはおろか、食べるなどということは禁忌になって当然ですね。
それが今、ネットで調べると、この本が今でも新品で入手可能であることを知って驚きました。
また何度も読み返したい魅力にあふれているからこそ、そんな事が可能なのだろうと容易に想像できます。
この本は、イギリスによるインド支配によって、その当時やその後のインド社会が経済的に混乱を招いて、その残滓が今も残存しているということを書いているのです。
その内容についてはイギリス人は当然ながら、その他の人類が大いに留意して、認識していかなければならないことだと思います。
イギリスの犯した植民地時代の罪は当然ながら、ここでは工業化について深く考えさせられることであると思いました。

この著者さんは、資本主義の裏の部分や、植民地や通貨制度といったものに全般的に興味関心があるようで、その手の題の本が多く出されていますね。
イギリスによる植民地化が原因で、インドの社会が混乱になったというのですが、それはイギリスによる植民地化も当然ながら、工業化の難しさにも原因があり、そこに植民地化が更に拍車をかけたというように見えなくもないと思えるのですね。
工業化に適した社会であるかどうかをまず分析するべきなのですね。
工業化には、気候、風土、そしてその国の国民性、といったものが適したものでないと、やはり難しいのです。
それにインドはあまり適していないと言えるでしょう。
多くの言語や民族や宗教といったものが存在するゆえに、言葉の疎通が円滑に進みませんし、あまりに暑い気候も工業化に適していません。

それに、食物や製品を物を作って売るにしろ、それが恒常的におこなわれるためには、恒常的な気候の安定がなくてなりません。
インドでは、その気候が一定していなくて、雨が降ってくれる年もあれば、飢饉になるほどの旱魃に襲われる年もあるということです。
このようなことを考えると、やはりインドは工業化に適していないと言えるでしょう。
これは決してインドを低くみているわけではない事はお断りしておきます。
虚心坦懐に観察して、難しいということをいっているわけです。
このような工業化が人類普遍の要求であるかどうかの断言は難しいでしょう。
私がタイに旅行に行き、山の麓近くにまで行きました。
そこに住み、何やらお土産品を売っている人たちがいましたが、その人達はどうやらそれらを必死になって売るという気概がなく、家族の殆どは寝ていました。
それは、そんなに必死になって売らなくても、そこらへんに果物や野菜が生えていて、それらを食料にすれば行きていけるからで、金銭に頼らなくてもいいという思いでいるからですね。
ですから、工業化が人類普遍の事象であるとは言えないのは明白です。

しかし、工業化によっていい面はあるのです。
金銭を稼ぐことができる。
そのお金で商品が買える、美味しいものが食べれる、旅行できるといった概念を形成されたら、やはりその人にとって非常に気がかりになることでしょう。
また工業化された国の人たちは医療によっていろんな病気や怪我を治すことができて、長寿も得れるという概念化がなされれば、誰もがあるいは多くの人がそちらに傾斜するでしょう。
しかし、そのためには、国民全体が恒常的に勤務してものを作り、そして商品を買い、働いたお金を貯金し、消費していくような社会でなければできた話ではないのです。
その精神の形成のためには、教育が不可欠です。
それにもお金や施設が必須です。
しかし、朝から昼までものすごい暑いのが当たり前の熱帯や亜熱帯の国では、難しいあるいは不可能なのです。
先に挙げたようにインドのように、必ずしも天候が一定していないで、ある年は良くて、違う年は旱魃というのが日常的である社会では工業化は難しいのです。
どのような国の形成が望ましいのか。
工業化するべきなのか?
あるいはしないべきなのか?
あるいはある程度工業化するべきで、ある程度工業化されないべきなのか?
このようなことを質問されたら、答えに窮するでしょう。
明確な答えは誰にもできないでしょう。
しかし工業化すれば、金銭を稼ぐことができる。
そのお金で商品が買える、美味しいものが食べれる、旅行できるといった概念を形成されたら、やはりその人にとって非常に気がかりになることでしょう。
また工業化された国の人たちは医療によっていろんな病気や怪我を治すことができて、長寿も得れるという概念化がなされれば、誰もがあるいは多くの人がそちらに傾斜するでしょう。
だから複雑なのですね概念化は。
第三世界の人たちが、生活の安定を求めて他の国へ出国する、あるいは日本のような国にで稼ぎに来る、ということになるのは、やはりお金やモノ、将来の生活に対するあこがれがあるからでしょう。
でもそういう事象だけをみて、人類普遍の感情であると片付けるのは短絡的だと言えるでしょう。
しかし、その憧れの工業化した国である先進国の未来も指をくわえてみていられるほど楽観視できるものでもないのは明らかです。

このまま資本主義が存続していく事は不可能であるといった趣旨の本が昨今は多く出版されています。
資本主義は恒常的に成長をしていかないことには、存続していく事ができない。
しかし、ものに満ち足りて、これ以上買うものがほしいものがほとんどない国民ばかりになってしまったら存続が危うい、ということですね。
それに関しては膨大な量の検証が必要ですし、ここで論じることではないのは明白です。
その際に、模範になるのはどのような社会でしょうか?
どの国のいつの時代の社会なのでしょうか?
やはりこれまでの人類が重ねてきた膨大な知識の蓄積から見出すことしかないでしょう。
もしかしたらインドのようないにしえの文明を存続している国も模範の1つになるのではないか?
そんな事を考えてしまいました。
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非常にわかりやすい文体で書かれていて、興味深い知識がいくつも書いてあるので、読みすすめてしまったのです。
インドはヒンドゥー教が大手でまかり通っていますし、牛が崇め奉られていますが、それは牛が乳を出してくれて、それを人間が飲み、貴重なタンパク源になるからですし、その糞を燃料とすることで火を炊く事ができる、まさに人間の生活を支えてくれる存在だからということだからですね。

ゆえに神聖視されて、殺すことはおろか、食べるなどということは禁忌になって当然ですね。
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また何度も読み返したい魅力にあふれているからこそ、そんな事が可能なのだろうと容易に想像できます。
この本は、イギリスによるインド支配によって、その当時やその後のインド社会が経済的に混乱を招いて、その残滓が今も残存しているということを書いているのです。
その内容についてはイギリス人は当然ながら、その他の人類が大いに留意して、認識していかなければならないことだと思います。
イギリスの犯した植民地時代の罪は当然ながら、ここでは工業化について深く考えさせられることであると思いました。

この著者さんは、資本主義の裏の部分や、植民地や通貨制度といったものに全般的に興味関心があるようで、その手の題の本が多く出されていますね。
イギリスによる植民地化が原因で、インドの社会が混乱になったというのですが、それはイギリスによる植民地化も当然ながら、工業化の難しさにも原因があり、そこに植民地化が更に拍車をかけたというように見えなくもないと思えるのですね。
工業化に適した社会であるかどうかをまず分析するべきなのですね。
工業化には、気候、風土、そしてその国の国民性、といったものが適したものでないと、やはり難しいのです。
それにインドはあまり適していないと言えるでしょう。
多くの言語や民族や宗教といったものが存在するゆえに、言葉の疎通が円滑に進みませんし、あまりに暑い気候も工業化に適していません。

それに、食物や製品を物を作って売るにしろ、それが恒常的におこなわれるためには、恒常的な気候の安定がなくてなりません。
インドでは、その気候が一定していなくて、雨が降ってくれる年もあれば、飢饉になるほどの旱魃に襲われる年もあるということです。
このようなことを考えると、やはりインドは工業化に適していないと言えるでしょう。
これは決してインドを低くみているわけではない事はお断りしておきます。
虚心坦懐に観察して、難しいということをいっているわけです。
このような工業化が人類普遍の要求であるかどうかの断言は難しいでしょう。
私がタイに旅行に行き、山の麓近くにまで行きました。
そこに住み、何やらお土産品を売っている人たちがいましたが、その人達はどうやらそれらを必死になって売るという気概がなく、家族の殆どは寝ていました。
それは、そんなに必死になって売らなくても、そこらへんに果物や野菜が生えていて、それらを食料にすれば行きていけるからで、金銭に頼らなくてもいいという思いでいるからですね。
ですから、工業化が人類普遍の事象であるとは言えないのは明白です。
しかし、工業化によっていい面はあるのです。
金銭を稼ぐことができる。
そのお金で商品が買える、美味しいものが食べれる、旅行できるといった概念を形成されたら、やはりその人にとって非常に気がかりになることでしょう。
また工業化された国の人たちは医療によっていろんな病気や怪我を治すことができて、長寿も得れるという概念化がなされれば、誰もがあるいは多くの人がそちらに傾斜するでしょう。
しかし、そのためには、国民全体が恒常的に勤務してものを作り、そして商品を買い、働いたお金を貯金し、消費していくような社会でなければできた話ではないのです。
その精神の形成のためには、教育が不可欠です。
それにもお金や施設が必須です。
しかし、朝から昼までものすごい暑いのが当たり前の熱帯や亜熱帯の国では、難しいあるいは不可能なのです。
先に挙げたようにインドのように、必ずしも天候が一定していないで、ある年は良くて、違う年は旱魃というのが日常的である社会では工業化は難しいのです。
どのような国の形成が望ましいのか。
工業化するべきなのか?
あるいはしないべきなのか?
あるいはある程度工業化するべきで、ある程度工業化されないべきなのか?
このようなことを質問されたら、答えに窮するでしょう。
明確な答えは誰にもできないでしょう。
しかし工業化すれば、金銭を稼ぐことができる。
そのお金で商品が買える、美味しいものが食べれる、旅行できるといった概念を形成されたら、やはりその人にとって非常に気がかりになることでしょう。
また工業化された国の人たちは医療によっていろんな病気や怪我を治すことができて、長寿も得れるという概念化がなされれば、誰もがあるいは多くの人がそちらに傾斜するでしょう。
だから複雑なのですね概念化は。
第三世界の人たちが、生活の安定を求めて他の国へ出国する、あるいは日本のような国にで稼ぎに来る、ということになるのは、やはりお金やモノ、将来の生活に対するあこがれがあるからでしょう。
でもそういう事象だけをみて、人類普遍の感情であると片付けるのは短絡的だと言えるでしょう。
しかし、その憧れの工業化した国である先進国の未来も指をくわえてみていられるほど楽観視できるものでもないのは明らかです。

このまま資本主義が存続していく事は不可能であるといった趣旨の本が昨今は多く出版されています。
資本主義は恒常的に成長をしていかないことには、存続していく事ができない。
しかし、ものに満ち足りて、これ以上買うものがほしいものがほとんどない国民ばかりになってしまったら存続が危うい、ということですね。
それに関しては膨大な量の検証が必要ですし、ここで論じることではないのは明白です。
その際に、模範になるのはどのような社会でしょうか?
どの国のいつの時代の社会なのでしょうか?
やはりこれまでの人類が重ねてきた膨大な知識の蓄積から見出すことしかないでしょう。
もしかしたらインドのようないにしえの文明を存続している国も模範の1つになるのではないか?
そんな事を考えてしまいました。
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