小森龍邦 『親鸞思想に魅せられて』

親鸞宗教の信者である著者が、今は多くの派に分派してしまった現今の親鸞の思想を信奉する団体の長、総長や法主といった人たちの堕落、無慈悲、宗祖の教えの誤った曲解などの内容を批判しているのです。

人類の救済を掲げて、親鸞聖人は、浄土真宗を起こしたのですが、やはりその宗教の内容が、どんなに立派でも時を経るにしたがって、また人の口から口へと伝えることによって、曲解され、誤って伝えられてしまう宗教の弊といってもいいでしょうね。

これは親鸞の起こした浄土真宗のみならず、あらゆる仏教はもちろん、キリスト教、ユダヤ教、儒教その他あらゆる宗教でも不可避の現実なのですね。

この方は、被差別部落の出身者のようで、その被差別部落への国内の対応に対して、現今の浄土真宗の長およびその信徒たちが、いかに無慈悲に不作為を決め込んで行動しないでいるか、に大いに失望されらたようです。

また、信じて疑わなかった共産党員の不作為にも言及しいているのです。

確かに人類救済を掲げていた親鸞聖人の教えを奉ずる仏教団体が、そういうことであるのは遺憾としがたいものでもあるでしょう。

しかし、本当に心から被差別部落の人たちの立場にたって、それに心ある対応をできるかどうかの最大のポイントは、自分がそういった事をされたかどうかにかかっているとしか言いようがないですね。

被差別をされた経験のない人間が、そういった人たちの立場にたっていけるかどうかはなはだ疑問です。

本当にその人たちに対して思いやった、という人がいれば、それは単なる思い上がりというほかないでしょう。

例えば、親族を交通事故で亡くした人がいたとしましょう。

その人に対して、本当に思いやったといえるでしょうか?

その人の心の痛みが本当に分かったといえるでしょうか?

かわいそうだな、ということでその人の心の痛みが自分にも移るのでしょうか?

そうはならないでしょう。

そこに人間の限界があるのです。

いくら科学が発達しても。

私は大学時代にバイト先で異性から、何度もアプローチされましたが、私は勇気がなくて応えれなかったです。

するとその人は、自分が嫌われていると思い、そのバイト先を辞めてしまったのです。

その人の心の痛みは、「あの人には悪いことした…」と思うくらいでした。

それから何年か後、異性に裏切られたことがあり、その大学時代にアプローチしてくれた人の心の痛みが痛いほどわかり、その人を探しに行きましたが、あえなかったですね。

このように自分が同じことを体感することで、初めてその人の立場になってわかるのです。

宗教を学んでいれば、この経文を唱えていればわかるようになる,全てが上手くいく、なんていうことにはならないのですね。

ですから、被差別部落の人たちの立場に100%立って理解できるようになるには、それと同じことを経験することによってなのです。

確かに、宗教に入る人たちはたいてい慈悲深い人が多いです。

礼儀正しくて、人との心の交流を積極的におこなおうという気概のある人たちばかりです。

反対に、友人が30,40,50歳過ぎても全然いなくても心に咎めを持たない人もいるのですから、そういった人たちには敬服します。

しかし、だからといってその宗教に入っていればそれでいいかというとそうではないのです。

先にも書いたように自分が体感していないことについては、自らそれを体感していこうという気概と行動がないことには、本当にそのことはわからないのですし、物事を広く深く見ていくには、その宗教で語られる内容だけを勉強していけば、それでいいかというとそんなことでは全然なわけです。

浄土真宗の信徒でも、親鸞聖人の教え以外にもいろんな本を読み、いろんな人たちと語り合い、その内容を自分の糧として、実際の生活の中で行動していかないことには、真の学びにはならないのは言うまでもないことです。

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   親鸞聖人

その聖人、宗祖のいったことが今の世で、100%正しいとは限りませんから、その教えについてアレンジしなくてはならないことも出てくるでしょうし、またそうしてしかるべきでしょう。

そのことを分かったゆえにか、そして慈悲心を持ち合わせたゆえにか、この著者は、多岐にわたる学びを実践し、現今の浄土真宗の団体の堕落ぶりを批判し、それから良き方向へ行くように、この親鸞聖人の思想の広まることを懇願しているのです。

この方のスタンスを私は支持します。


やはり、ただその宗教の教義について学んでいれば、それで万端ということでは決してないのです。

それで万端というのであれば、何故、その宗祖の死後、その宗教団体の長がその宗教の教義を誤って曲解したり、知的あるいは精神的に怠惰になり、また無慈悲になってしまい、それに信徒たちが失望してその団体から抜けてしまうということが往々にしてあるのか、ということですね。

それは、その長の内実を分析する必要があるのです。

その人の生活、これまで得てきた情報、生きてきた人生の内容をつぶさに構造的に明らかにしたうえで、どうしていけばいいかを自ら勉強し、それを実生活で行動していくかにかかっている、ということですね。

その宗教に入って経文をあげ、そして勉強していけばそれでいい、というような簡単なものではないのです。

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また、その信徒団体にも、そういった人たちが出てくるのも必然です。

先に、宗教に入る人たちは、心優しい人たちが多いということを書きましたが、例外は多数あり、やはりどんな宗教団体でも、無慈悲で人の心を疎んじる人は多くいるものです。

ですから、その宗教に入れば充分、万全という論理には私は与さないのです。

しかし、人類救済を掲げて浄土真宗をおこした親鸞の思想は、今も多くの人を捉えていますし、その団体の数々は存続しています。

鎌倉時代の昔におこされたものであるにもかかわらず。


それゆえに、その思想をつたえるべくその内容を現代社会において、いかに生かすかをメルマガとして発行しているひとがいて、それゆえに興味を持ち、この本を選び、そして読み、ここに紹介した次第です。

その慈悲心の深さに触れたい人には、お勧めの本です。

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