ユルゲンハーバマス 『公共の構造転換』

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 ハーバマスは、この著の中で、

 近代初期の「市民的公共性」の成立と、後期資本主義社会におけるその変容

を鋭く批判しているのです。  

 自由市場の自律性を尊重し、私的領域への国家権力の関わりを極力排除する「自由主義的法治国家」から、

 財政政策や社会保障を通じて国家が私的領域へ積極的に介入する「社会福祉的国家」への変遷の中で、

 私的領域と公的領域が交錯していく様を描写してみせました。
 

 福祉国家化によって、社会保障や公共サービスの拡大により、私的領域への公権力の余地が増大したのです。

例えば、従業員の身分保障や福利厚生にまで企業が世話をすることによって、私企業が公権力化したのです。

私的領域と公的領域の区別が曖昧化したのです。
 

 社会福祉や公共サービスという名の公権力や、公権力化した私企業組織に包囲された人々は、学校で、企業で、家庭外の権威により直接に社会化されるようになってゆく。

 そして、その結果、私人は市民としての主体ではなくなり、公権力や企業の残余領域である「私生活」で、レジャーという個人的な行為に引き篭もる存在になってしまうのです。
 
近代初期の文芸の商品化やマスメディアの興隆により、市民をして文芸的公共性における公衆たらしめ、それを媒介して政治的公共性が成立した。
 

 公共性の領域に現れると、人々は単なる私人ではなく、公共的な性格を帯びた主体=公衆となる。

 公衆は社交施設で文芸(初期は主に小説であったが、のちになって新聞や批評雑誌がとってかわった)を共通の主題とする社交があって初めて成立する。そのためにはまず、人々が公衆として話し合える喫茶店やサロン、クラブなどの公共施設が必要であり、人間の階級差を越えて共通として近づけうるような主題をもつものでなくてはならなかったし、公衆のほうも、伝統的な大家族的な親近圏から離れて「一個の自己」としてみいだしうるものでなくてはならなかったのである。
 

 しかし、今日の文化の商品化とマスメディアの興隆は、大衆の休養娯楽の需要に順応し、販路の拡大を目的とする「大衆文化」に成り下がり、公衆を公論へとみちびく契機を徹底的に欠いています!

なぜなら、マスコミは商業化し批判的な機能を喪失し、人々を操作する機能に変化したからだという。


 この著書は40年前に書かれたものだが、現代にも妥当する箇所がたくさんあり、教えられるところもたくさんあるので、そういった意味で古典的な名作といえないでしょうか。
 

 ハーバーマスが、現在の東京を概観したら、さぞ慨嘆するでしょう。

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ハーバーマス 

 第二次大戦後、人も物もすべて東京に集め、東京を発展のモデルにして日本は発展してきました。

東京と郊外を結ぶ物流、人の流れ、情報の流れをできるだけ密に、スムーズにしていった。

 その結果、東京に人が密集し、前は大きい道路があり、公共施設もなく、緑もなくこんなところに誰が住むの、といいたくなるような場所に数え切れないほどの高層マンションがたくさん建てられ、売りに出された途端に売切れてしまう。

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 ロンドンは大都会だが、電車で10分も走れば、牛が草原に寝転がって草を食べているイギリスとは大違いです。 

 そんな東京、とくに大都会では、人々が交流する施設などほとんどなく、人々は仕事に熱中するあまり帰り時間もバラバラであるため交流の時間もない。

 
DVDやテレビゲームの生活への浸透により一人でこもる人が事実多いのは確かである。

 こんな環境では、ハーバーマスが唱えた「公衆」ができないのは目に見えるようにわかるでしょう。
 


  なぜ、ハーバーマスが「公衆」の存在と大切さを説き、その少化を嘆いたのか?

 それは、自分たちの住む社会は自分たちの思想や行動で変えていくべき

 という強い信念があったからでしょう。

 しかし、都市化やマスメディアの興隆により、物事をキチンと自分の頭で判断する「公衆」が少なくなってしまうのは哀しむべき事態というほかないでしょう。

 しかし、現代の日本において、こういったハーバーマスのいう「公衆」の不在化を嘆く声がきかれないのは何故だろうか?

 
それは、経済が発展し、普通に働けば普通に食べて生活していける経済社会になったからでしょう。

 30代だろうが、40代だろうが、50代だろうが、フリーターをしていても飢え死にするわけでもない。

 生活レベルは下がるが、生活していけるのです。

 ディスカウントショップや100円ショップ、99円ショップも巷に溢れている。

 こういった環境に住んでいれば、当然政治的無関心層が増えるのも、無理はない。

 ハーバーマスの言う「公衆」という言葉は使っていないが、日本に「市民の不在」を嘆いたカレルヴァンウォルフレンと主張は一緒であろう。

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カレルヴァンウォルフレン

ウォルフレン氏は、日本人は、政治において何でも政治家まかせ官僚まかせで「政治化された国民」といっています。詳しくは、彼の著書「人間を幸福にしない日本というシステム」を参照されたい。) 
    ↓
 人間を幸福にしない日本というシステム

 
 しかし、このままでよいのであろうか?

 
私はそうは思わないです。

 理由の第一は少子高齢化による老後の生活である。
 
 毎年借金をだし続け、国債が増え続けている今の政府に任せられるだろうか?

 
我々現役世代が引退した時には、年金がもらえない確率が高いのだ。

 もしもらえても少額であるのは間違いないです。

 少子高齢化によって、われわれが引退した時、アメリカがイラク戦争で使った費用の額が毎月政府が負担することになってしまう。そんなことが可能か?

 
人として常識があれば、不可能事だとわかる。

 低収入で貯金はほとんどなし、その日その日を惰性で送っている。

 いつまでも低収入のまま抜け出そうとしない人が、私の周りにたくさんいて、私の知るだけで30人はいます。

 私の知っているだけでこれだけいるのだから、全国で換算したら数えきらないほどの人がいるに違いない。

 こういった人たちは、老後は「政府が面倒見てくれる」と信じきっているのだろう。

 しかし、それは、絶対に無理です。

 これからは、ファイナンシャルリテラシーを磨く必要があります。

 
その詳細については、別書を参考にして欲しい。
 
 政治的問題群は、これだけではない。

 環境や犯罪、教育など数え上げればきりがない。

 それらを国民が自分の問題として、人々が話し合って行動に移して解決していく必要があるのだ。
 

 そのためには、人々が話し合えるハーバーマスのいうサロンのような公共施設が必要です!

 

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そのためには、人や情報が東京に密集しすぎて、交流のほとんどない日本は問題である。

 集まりすぎた人を分散させる地方自治をもっと進めるべきである。

 この状態に我慢できなくて、地方に抜け出す人がいてもいい。

 そして、読み書きや暗記の能力にばかりおしすすめて、自分の頭で考え判断する能力の開発に力をいれてこなかった、日本の教育制度にも問題があります。

 「人々が情報で操作されるようになった」というハーバーマスの嘆きが思い出される。
 

 この本を読んで、日本人が現代社会を見直す契機になればと期待しています。
 



公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究






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