高木薫 『わが師 大山倍達』

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大山総裁が存命時に、北海道支部の支部長として極真会館の発展に寄与した今は亡き高木薫氏の自叙伝です。

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高木薫

大山総裁の命で、昭和44年当時日本国内に3つしかなかった支部をさらに発展させるべく北海道に赴いたのだそうです。

その時、大山総裁高木氏に北海道までの片道の電車代しか渡さなかったようです。

あとは自分の力で金を調達し、創造力を働かして道場を構えるなり、教室を出すなりして極真会館の北海道の支部を設立しろ、という無言のメッセージによって遣わされたもののようです。

今は、あらゆるものがマニュアル化され、支部設立を任されて赴くならば、設立のマニュアルから資金に至るまで、方法を伝授されてから赴任する…こんなイメージがわくものですが、大山総裁はそういうことを微にいり細にわたって教えるということをしない、というスタンスのようです。

事は支部設立に関してだけでなく、空手の稽古においても同じであったようです。

昔の極真の強豪で、今は極真を脱退し違う流派を設立した館長たちや、今も極真にとどまり古参の支部長として頑張っているひとたちの自叙伝等を読むと、大山総裁はとにかく基本稽古や移動稽古をみっちりとさせ、組手の方法論に関しては、とにかく実戦を通じて、痛い目にあい、またはそうならないためにはどうすればいいか、どうすれば自分の攻撃が有効に出せ、勝てるかを自分で創意工夫してものにすることに任せていたようです。

あれこれ教えないことによって、どうすればいいかを自分の頭をフル回転して考え、行動することによってものにしていくことの重要性を強く認識していたようです。

かくいう大山総裁も、自宅の庭で近所の子供たちに空手を教え、そしてバレエスタジオを借りて空手道場を開き、自分の創造力で資金を集め今の極真会館を設立したようです。

こういった自分の経験値があるからこそ、事は空手の習得のみならず、支部設立においてもあれこれ教えずに自分で学び、ものにする。

こういうことを経験することによって人生は実りあるものになり、強く生きていくことができるのではないかなと、思いました。

なにからなにまで教えてくれる現代のマニュアル化社会については、やはり考えざるを得ません。

こういった紆余曲折の末、高木氏が極真会館の北海道支部設立に寄与したことは大いに讃えたいと思います。

高木氏は、大山総裁の本を読み極真空手を知り、それで極真会館に入ったのではなく、大山総裁の存在はテレビでちょっとだけ知っていたが、とりたたて印象を強くもっていたわけではなく、氏が城西大学在学中に何やら大きな声が聞こえて、興味をもってその声のほうに行ったら大山総裁の始めた極真空手の稽古がおこなわれていたのがわかり、そのすさまじさに感動し極真空手に入門したのだそうです。

つらいこともありながらも、総本部の指導員にまで成り上がったようです。

この本を読んでいると、今では知りえない極真空手の歴史を知ることができます。

大山茂と泰彦兄弟、中村忠、添野義二の極真からの脱退劇や、アントニオ猪木がボクサーのモハメッドアリと開戦が決まった際に大山総裁が空手を指導したことや、プロレスラーの大木金太郎が極真空手に対戦を投げかけてきたこと、『空手バカ一代』の原作をつとめこんにちの極真ブームの先駆けに大いに貢献した梶原一騎氏を国内支部長の連名で大山総裁に除名依頼をして除名にしたことなど、興味深く読みました。

この本を読んで、またも感銘を受けたのは、前に読んだ韓国に住む大山総裁の3人の息子たちが書いた『わが父チェペダル』と同じように、大山総裁の心厚さでした。

大山総裁の、一度同じ団体に属した人たちを最初から最後まで大事にする心には大いに学ぶものがありますし、必ずこうならなくてはいけないと思いました。

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大山総裁

除名にするに際にも、何回も支部長会議を開き最後の最後まで除名をためらい、仕方なく除名処分にした、という大山総裁の対人姿勢には感銘しました。

極真の流布に大いに貢献した梶原一騎氏が、連続的に世間的に不埒なことをしたため、これ以上のさばらせては極真の看板に汚名を残す、として全国支部長の連名で除名にしました。

しかし、のちに梶原氏が病死した時に、大山総裁は葬儀にはいかなかったものの、きちんと梶原氏の墓参りには行って、花を添えたというくだりには胸が熱くなりました。

「このような義理堅い人間になりたい!」と思った瞬間でした。

このような人間的な魅力から、高木氏大山総裁に惹かれていったようです。

高木氏が、大山総裁の思想で一番感銘を受けた一節をこの本の最後のほうで引用していますが、私もおなじ様に感銘を受けたので引用したいです。

「己においては常に謙虚であり、親に対しては愛情、師に対しては尊敬、友に対しては信頼の情をもつ。社会に信頼される人間とはこういう人間をいうのでしょう。組織を発展させるためにも、こういう人間の存在は貴重なんだ。
極真精神とはわかりやすく言えば素直で良い心をもった人間になれということである。「良い気持ち」をもった人間になればこの世の中は地上の楽園となる。反対に妬みをもつことは、自分で苦しむことになる。“手柄”なんて人にあげてしまえ。」


この言は、今の現代人の多くの人に読んでもらいたいものです。

こういった心澄む言葉を幼少のころに刻み付けていけば、必ず義理堅い人情あふれる人間になる可能性は大きくなることは間違いありません。

そういった言に影響を受けて高木氏は極真会館の発展に寄与してきました。

しかし、94年に大山総裁が急遽して松井章圭氏が、大山総裁の遺言を受けて館長に就任してまもなく、高木氏は、事実関係もあいまいなまま除名されてしまいます。

同時に、4名の支部長もです。

高木氏とその4名が中心になって「極真会館遺族派」というものが形成されましたが、あまりに人数の少ない団体であるので見ていて哀しくなりました。

なんとか元の団体に戻れないのだろうかと思わざるを得ませんでした。

その後、「遺族派」は分裂してしまったようです。

その後、高木氏「北の武人会 極真会館北海道総本部高木道場」を設立しました。

その団体のホームページは以下です。
  ↓
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http://www.kyokushin-takagi.jp/kitanobujinkai


しかし、高木氏2005年に亡くなりました。

その葬儀には、いったいどれだけの極真空手の関係者たちが来たのだろうと思いました。

高木氏が除名にされた年の次の年の95年に極真会館は松井体制に反感を持つ人たちが一斉に反旗を翻し、大分裂をしました。

その松井反体制にも高木氏は加わらなかったようです。

その理由等についてはよくわかりませんが…。

しかし、大山総裁が亡くならなければ、分裂も起こりようがなかったし、高木氏も除名にされることもなかったでしょう。

この本の冒頭には、松井体制の最高顧問であった盧山初雄師範(のちに盧山氏は松井氏から除名されます)と郷田師範が寄稿を書いています。

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盧山初雄師範

なんて哀しい結果なのかな…と思わざるをえません。

そして亡くなる際にも、多くの極真関係者によって見送られることになったでしょう。

しかし、そうはならずに少ない極真関係者だけが来たのであろうことは想像に難くないです。

こんな最期になって高木氏は残念至極でしょう。

高木氏の冥福を祈ります。

今は、松井派にも、新極真会にも、極真館にも「北海道支部」はあります。

その下地を敷いたのは、ほかならぬ高木氏にほかなりません。

自叙伝などの本を読んでいると、その人の貢献度はよくわかるものです。

またその人の価値も同様に。

であるからして、自分と意見が違うとか、ちょっとしたいざこざでその人と縁を切る、除名にするなどということが平然とできる松井章圭氏には全然人間的な価値を感じることが私にはできないのです。

極真会館の発展に寄与した高木氏を簡単な理由で除名したのみならず、自分の師匠の盧山初雄師範まで除名にした松井章圭氏は私の反面教師以外何物でもありません。

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松井章圭

もう一度、高木薫氏の冥福を祈ります。

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